ウラノスの憂鬱 - 2008年12月

ウラノスの憂鬱

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Do Androids Dream of Electric Sheep?

バイト先で、ブレードランナーの廉価版DVDを1200円で買った。
ディレクターズカット ブレードランナー 最終版 [DVD]ディレクターズカット ブレードランナー 最終版 [DVD]
(2008/12/10)
ハリソン・フォードルトガー・ハウアー

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残念ながら、僕の大好きなこの都市は「一生」実現しないだろう。
デカルトは言った。
「自然が作ったものと、人間精神が作ったものとの間には統一がある。」
ル・コルビュジェは言った。
「今こそ、手遅れにならないように、綿密な隙のない理論が現れるべき時である。そうすれば、これら都市計画の新しい専門家達は、皆そこに自分達の行き手を照らす光を見出すことであろう。」

ル・コルビュジェの何が間違っているんだ?
鉄筋コンクリートやガラスが新しい建築の材料として使われるようになった。
鋼鉄や鉄筋コンクリートの骨組みは極度に軽く、強く、建物のファサードを100%ガラスになり光と明るさをとりこむことも可能になった。
新しい計画は整理と秩序を保証し、ひとつの建物を生命の科学たらしめ、建物に充足感を与える。
コンクリート板の直角的性格は、その純粋さと方正さにおいて際立つ。

「道具とは現実の物質、物品に基づくものであって、単なる言い回しではない。道具とは我々がもろもろの機能を行うのに役立つものである。吟遊詩人達が種々の道具に囲まれたこの機会主義社会の鼓動の真っ只中にあって、その社会の施設を実際に自在に使いこなし、しかも常に取りのごとく自由に行動しつつ幸福な人生の喜びを自分自身で見出したと歌うのを聞いたとしたら、それは美しいことには違いないだろうが、実は残念ながらそのようなことはまるで考えられないことなのである。」

精神と機械文明は対立するものではないのである。

1947年にル・コルビュジェはこう言った。



新しい技術は実用性も伴い、希望に満ち溢れていた。
1980年代までは。
大阪万博や昔の少年漫画に出てくる未来の都市。
塵一つない清潔な都市。

ブレード・ランナーの世界。
機械文明への畏怖と言わんばかりに剥き出しの配管や構造を把握できないほどスプロール化した構造物。
清潔な都市はもはやそこには無く、街は霧やネオンライトで陰鬱に覆われている。
機械文明は結局全てを論理的に解決することはできなかった。
機械文明に失望した。
我々は無感動をもって機械文明に接する。
 
 

wake up from the night mare

Full Metal Jacket を観た。
フルメタル・ジャケット [DVD]フルメタル・ジャケット [DVD]
(2008/09/10)
マシュー・モディーンリー・アーメイ

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この映画は前編と後編に分かれている。
海兵隊を訓練する地獄のキャンプと、ベトナムでの戦闘シーン。
海兵隊は訓練キャンプで、人格を否定され、自分の意志を否定され、兵器として生まれ変わる。
お前等は生きている価値なんか無い。
敵兵のベトコン以上に自分自身を罵られる。
殺すか殺さないは自分ではなく国家が決める。
ベトコンに少しでも同情して殺さないことがないよう、人格を否定する。
hunter×hunterのキメラアント編で人として理性として正しい(ような)倫理を王は獲得し、人間よりよっぽどいい世界を構築できる、と王は語る。人間を肉団子として見なす凶暴性、軍儀の盲目の打ち手の命を尊ぶ理性。どちらにも傾き得る。しかしどちらに傾いたとはいえ、蟻は人と交わることはない。どのような高尚な理念を掲げていても幸せに暮らせるかといえばそうではない。歴史がそう語っている。結局王討伐隊のネテロ会長は高尚な王よりも、下卑た権力者の言うことに従わざるを得ない。国家には目的以外の何もいらない。

人は井戸から落ちかけている少女を見過ごすことはできない。
私の心が痛むから自殺はしないで。自殺を止める理由は見当たらないが他にもあるはず。
人を殺すと心が痛む。
戦争で人を殺す。PTSDにかかる。
そこで訓練するとき、反射的に殺すように的を人型にする。
戦争で人を殺す。
帰ってくるとPTSDにかかる。
戦争用の精神と日常の精神を切り替えるにはどうしたらいいか?
軍隊は常に思索している。

メタルギアソリッド4
メタルギア ソリッド 4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット(通常版)メタルギア ソリッド 4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット(通常版)
(2008/06/12)
PLAYSTATION 3

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に民間軍事会社が出てくる。
戦争は経済活動の一部に組み込まれ、民間軍事会社が戦争を請け負う。
ショーとしての戦争。
スカイ・クロラスカイ・クロラ
(2001/06)
森 博嗣

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so foolish that you can't understand

「神がすべての事物の創造者である」ということが私の思惟の中に見出される神の「観念の内実」として和解される。その上で他ならぬこの同じ神の観念を介して、神があるということが証明される。そのとき「神がある」ということと厳密に「同時に」知られることは、神が現に「全ての事物」の創造者で「ある」ということ、したがってまた「すべての事物ないしあり得る一切のもの」という名で名指しされていて、その限りでまた私の神の観念の和解内容の必須の構成要素をなしていたところのある観念、つまり私の思惟の中に見出される「世界」という観念が、そっくりそのまま「ある」という地平の上に措定されたということ、「ある」という地平の上に内実を獲得したといいうことであろう。

     -デカルト読本-



「コギト・エルゴ・スム」-私は考える。ゆえに私は存在するー

「最もすぐれた精神の持ち主でも、多くの時と、多くの注意を必要とするだろう」

「良識はこの世で最も公平に配分されているものである。理性とも言い換えられているが、この能力は、「すべての人において生まれつき相等しい」」

「ほんのわずかの疑いでもかけうるものはすべて、絶対に偽なるものとして投げすて、そうしたうえで、まったく疑いえぬ何ものかが、私の信念のうちに残らぬかどうか、を見ること」にすべきだ。しかし、そのように疑っている私、そう考えている私は、無ではなくて何ものかである。

「私は考える、だから私はある。」





松岡正剛の千夜千冊(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/toc.html)というレビューを読むと、「知る」喜びが少しでも、絶対に理解できる。
前頭葉が悲鳴をあげ、狂喜する。
スティーヴン・ホーキンスが言っていた。
知りたいと思う欲求が私たちが物事を知る理由を十分正当化するのである。



CautellaCautella
(2005/06/21)
Richard Devine

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このCDをぜひとも手に入れたい。
 
 

哲学

すぐさまゲーテと、それ以上にジョン・ラスキンを感じた。ゲーテだというのはゲーテのイタリア紀行感覚のことである。ル・コルビュジエは19歳でイタリアを旅行してそこで地中海の青に映える白い化粧漆喰に射抜かれた。
 ラスキンだというのは、少年コルビュジエがスイスのジュラの森に多感な季節を過ごしたのなら、そこはフォーヌの神が出入りしていただろうから、ラスキンの『建築の七燈』に夢中になっていたとしても当然だったという意味だ。ただラスキンには「空気」の粒々をそのまま愛するようなところがあったのだが(だからターナーの絵画を絶賛した)、ル・コルビュジエ(以下、コルビュジエと綴る)はその粒々を「構造」と「構造の抜け」に置き換えなければならなかった。この構造感覚はラスキンではなく、むしろゲーテの形態学のほうである。
コルビュジエが「空気の粒」に惹かれたのは、30歳でパリに移ってすぐにぞっこんになったのが画家のアメデオ・オザンファンだったことにも、きわめて象徴的にあらわれている。
 オザンファンの「ピュリスム」(純粋主義)にはまさに光の粒子の幾何学ともいうべき着想に溢れていた。コルビュジエはそのあと詩人のポール・デルメを加えて雑誌「エスプリ・ヌーボー」を3年間ほど編集するのだが、その編集方針もまたオザンファンとの出会いによって得た「装飾性と夾雑性を排して純粋に向かう」という思想だった。これは端的にいえば、コルビュジエがプラトンにまで回帰したということを物語る。ラスキン、ゲーテからさらにプラトンまで飛んでいったのだ。

             -松岡正剛 千夜千冊よりーhttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/toc.html



松岡正剛のレビューがすごい。現代のアリストテレスやー。
このレビューの圧倒的な情報量にさらされて、触発されて図書館でデカルトとカントと黒川紀章とルイス・カーンの本を借りた。
冬休みに読めるかな。

デカルト読本デカルト読本
(1998/10)
野田 又夫

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実践理性批判 (岩波文庫)実践理性批判 (岩波文庫)
(1979/01)
カント波多野 精一

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黒川紀章著作集黒川紀章著作集
(2006/11)
黒川 紀章

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ルイス・カーンとはだれかルイス・カーンとはだれか
(2003/10)
香山 寿夫

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熊本

作った模型を観に、熊本まで行ってきた。
滞在時間と、移動時間が同じだったこの二日。
夜行バス14時間は腰が痛い。
でも行ってよかった。






アセクト:デセクトアセクト:デセクト
(2003/09/25)
リチャード・ディヴァイン

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BLAME 10 (10) (アフタヌーンKC)BLAME 10 (10) (アフタヌーンKC)
(2003/09/22)
弐瓶 勉

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リチャード・ディヴァインと、BLAME!は良く合う。
卑近な感情を超越した何か。テクノロジーへの畏怖、それよりも強大な人間の興味という性質。
かつての未来都市はつるつるしたビルが立ち並び、エア・カーが空を飛ぶ清潔で整然としたものであった。
「三百万人の現代都市」を提唱したル・コルビュジェの都市が時代遅れであることはわかっていても僕はそれが何故そうなのか、分からない。都市は生物そのもので極めて流動的だからということなのかもしれないし、グローバル化が進む中で地域のアイデンティティを保とうとする動きのせいなのかもしれない。いずれにせよ明らかなのは何百万、何千万人の人々のベクトルを一つの街に収めることを設計することは極めて困難だということだ。
ベッドタウンに、突然何千人規模の集合住宅が建てられる。若いサラリーマン家族を対象とした人目には清潔な地中海風のモルタルをイメージした淡いベージュの壁面。低料金のスポーツジム。レストラン。それらはすぐにさびれる。一生そこに住みたいと誰が思うだろうか?将来は老人であふれ、廃墟になるに違いない。
都市は生物学的でなければならない。日々、フレキシブルに変化し共生する都市。何百年も目的に合わせ変化し続ける都市。