無料HP ウラノスの憂鬱 - 2009年06月

ウラノスの憂鬱


2009年06月 の記事一覧

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家畜人ヤプー

今日、高田馬場のBook Offに行くと、江川達也の「家畜人ヤプー」
家畜人ヤプー 1 (バーズコミックス)家畜人ヤプー 1 (バーズコミックス)
(2003/05)
沼 正三江川 達也

商品詳細を見る
が100円で売っていたので、4巻買った。
これは、白人女性を頂点とする未来の奴隷社会の話で、かなり変態だ!
黒人は奴隷で、黄色人はそれ以下の家畜。
肉体を改造されたヤプー(日本人)は主に白人女性に仕え、排便の家具、性の家具、足置きの家具、犬、オーケストラ奏者、小鳥に仕える係り、決闘士など、様々な生活用品となり、美しい白人女性に仕えることを喜びとする。
江川達也の描く女性はとても美しいので、白人女性を頂点とするヒエラルキーに納得してしまう。
江川達也は東京大学物語で変態だと思っていたけれど、原作者の沼正三は相当な変態だ。
こんな変態な本が出版される日本も変態なのかもしれない。
そして、それを買った僕も変態なのだ。でも僕は断じて変態じゃない!
変態!変態!







「黄色い猿、というのがただの比喩、でないことがわかったわけよ。」
ヤプーの奴隷化からさらに進んでその家畜化を推進するにあたりその理由として繰り返されているうちに、俗説は、いつか人々の、信念に、根をおろし始めた。それは社会通念となり、そしてその通念の逆作用で、さらに家畜化が拍車をかけられた。生体解剖による医学の進歩の恩恵はあまりに大きく、今さら生体解剖を中止することはできなかった。遂に最高裁判所もヤプーは人権保障の対象外であると宣告した。
ヤプーは別扱いでよい。ヤプー類人猿説を俗説と見る人もこれだけは認めざるを得なかった。イース人類が人種差別の前科者であるアングロ・サクソン族の後裔であったこともヤプーにとっては不幸だったといえよう。奇形者の交配から短脚、長かいの畜人犬の原種が作出固定され、四這にして飼われ始めるともうヤプー人間観ではまかない切れない新情勢となった。
この時人々の期待に応え、その内心にまだしこりついていた疑惑の雲を残りなく吹き飛ばしたのが、地球紀元23世紀のローザンバーグの大著「家畜人の起源」だった。
第二の進化論といわれるこの業績の著者は前史時代末期20世紀の神話を著したナチス戦犯哲学者アルフレート・ローゼンベルクの血を引く大生物学者で、古石器時代におけるネアンデールタール人とクロマニヨン人の形質の相違から従来ホモ・サピエンス(知性人類)といわれてきたクロマニヨン人の中に、実はネアンデルタール人の子孫である異種のシミアス・サピエンス(知性猿類)がはいっていたことを発見した。
そして正統人類には、白人、黒人、黄色の3種があったが、シミアス・サピエンスは疑似黄人で、前史時代、黄色人種と呼ばれた中、第3次世界大戦のα爆弾と、ω熱とを生きのびた唯一の黄色種族の日本人こそ、まさにこのシミアス・サピエンスであったこと。
すなわち、ヤプーはシミアス・サピエンスであることを論証するに、primates(霊長類)、homo(人類)、simia(類人猿)とがそれぞれ代表選手たる知性動物を進化させて以後の人類学、考古学的事実を踏まえ、豊富に例証に裏付けられた巧妙な論理をもっていた。
まさに、早天の慈雨のような学説だった。
基礎哲学と応用技術とは並行する「奇人論」が学説の定説として受け入れられ、奇人論者(ヤプーニスト)がふえて、ヤプーの非人間化が良心の曇りを感じずに遂行し得られるようになると、ヤプー文化史の三大発明、
生体縮小機(ディミッシングマシン)、読心装置(テレパシー)、染色体技術(クロモゾーム・オペレーション)が次々に登場した。
これによって、畜人制度は完成期に入ったといわれる。
始めは愛玩動物だった矮人-縮小畜人の12分の1の物-は「有機機械(ソウルド・マシン)の部品として使用されるに至り、第3次機械自動化(オートメーション)による第5次産業革命を招来する原動力となった。畜体循環装置(サーキュレーター)の普及により、肉便器(セッチン)、その他の生体家具(リビング・ファニチャー)が各家庭の常備品となってきた。
新種のヤプーが続々作出され、皮革ヤプー、食用ヤプーが飼養され、畜体処理場が興り、血液媒剤(コサンギニン)と電気焼筆(ブランディング・ペン)による生体彫画が第11番目の新芸術として認められるに至った。
さらにイース人の行動能力を飛躍的に増大させたサイ空間の征服も、また、銀河帝国への発展を基礎づけたタウ空間の発見も、知性体ないし意識体としてのヤプーの肉体を消費することなしには不可能であった。
ヤプーは単なる家畜ではなく器物でもあり、動力でもある。
生体家具として生産されるものは、生まれながらにして器物性を帯びている。生体とはいっても本質は家具なのである。ヤプーの登場が家畜と家具との概念的区別を曖昧にしてしまったのだ。
また、その精神能力や自意識が機械装置の一部に組み入れられている時、ヤプーの存在価値は新しい動力源たるに在るといえた。
今こうして生活の隅々までヤプー利用の浸透した世界におけるヤプー意義はあたかも20世紀における電気にも比せられよう。
万能の召使あたる電気なしに20世紀人の生活が考えられなかったようにヤプーというこれまた万能の召使なしにイースの衣食住は考えられなくなっているのだ。
かつて「進化論」が自由競争の自然法則視によって資本制を合理化したように、畜人論はヤプーの非人間性の論証によって畜人制度を合理化した。
それは理論なるものの上部構造性を示す見事な一例ともいえたであろう。
イース社会の人々にとってはヤプーの由来についてのローゼンバーグ学説は常識であり、この人々に対してヤプーが人間であると説くことは、20世紀人に対し、雷公(カミナリサマ)の絵を示して「電気の本質はこれだ!!」というような印象を与えるだろう。
ヤプーの非人間性は既に議論以前の科学的真理なのであった。
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imoutoid 

imoutoidを知らなかった。
mixiの日記で名前がよくでてきていたので、誰だろうと思っていた。
名前が出てきたのは急逝したから。
6月2日に初めてそのことを知ってから、初めて曲を聴いたときに鳥肌が立った。
元ネタの曲は知らないが、完璧だ。
それからちょくちょく聴いているけれど、この衝撃は、初めてAphex twinを聴いた以来かもしれない。
なんと繊細で美しい・・・
素人なりにDTMをやっている者として、この曲を通してimoutoidが語っている。



自分は何も分かっていなかったのだ。




ご冥福をお祈りいたします。
imoutoidさんの曲がこれからもたくさんの人に聴かれ、音楽が発展することを。

クラブミュージカ

今日はイベントに出演した。
DJの友達と毎月イベントをやることにした。
今回は一回目。
Reasonというソフトで曲を作るのだが、それは難しい。



音楽にはテーマがなければならない。
テーマとは、この世界を記述するものである。
音楽でしか記述できない見方。
言語に縛られず、時間を共有する。
卑近な感情、それとは大きく隔たるもの。
ついに僕は発見した。
2つの要素から成り立つ。ということ。
2つは差が生じる最小単位。
そこから引き出す過去の記述。
過去の記憶は思い出した時点で現在である。
過去の思い出を結晶化し、永久にとどめておく装置としての音楽を提案する。
過去と現在が交差する瞬間をつなぎとめ、記述する。
予定表が埋まり、未来が現在へと引き戻される生活の中で過去へ回帰する。




僕の音楽は音楽的なテクニック以前に、少々内省的すぎるのかもしれない。
今回のイベントの趣旨は皆が楽しめること。
曲を作っている間は皆が楽しめる音楽を作っていると思っていた。
しかし、そのノリノリ感は僕の中で起こっているのであって、外には出ていかないということが分かった。一人だけで陶酔する音楽は自慰だ。音楽は、皆で時間を共有するものであるから、セックスでなければならない音楽もあるということに気づいた。

高城剛

正しくないという人もいるけど、高城剛のブログはおもしろい。

http://blog.honeyee.com/ttakashiro/

6月15日の話題は、日本人による13兆円を超える債権密輸がイタリアで発覚されたこと。
情報の真偽、重要度の判断はあまりできないが、13兆円が動く各国の陰謀が渦巻いていることくらいは分かる。

日本は世界から孤立しているという。
いつの間にやら世界が激動する今日、パラダイムシフトが起こっている世界の動きについていっていない。
高城剛のブログやcourrier japonを読んでいて思うのは、日本にいてインターネットに繋いでいてもいてもコントロールされた情報しか受け取っていないということだ。
中国では国内で販売する全てのパソコンの中に情報規制のソフトを組み込むなどと言っている記事で、中国は怖いなあと思っていたが、それとは知らずに偏った情報しか受け取っていないというのも怖い。
アメリカの発行紙幣の枚数が急激な右肩上がりをしている、という明らかに重大なニュースすら入手は困難だ。インターネットに繋いでYahooのトップページのニュースやmixiのニュースだけを見ていると馬鹿になる気がする。情報を入手できる人と、できない人で大きな溝がある。
僕は9・11のテロでは、ビルが3つ崩壊していたということを最近まで知らなかった。
つまり、1次情報で判断しなければならないということだ。
デジタルディバイドとはまた違う情報格差が生まれているのか、それとも、この情報格差は昔からあったものなのだろうか。
今では考えられないが、電車の乗り継ぎ、アーティストの他のCD、作家の他の著作の情報は昔、この足で入手していた。
しかし、いくら気に入った作家の全ての著作が分かったとしても、読む本は昔から変わらないということだ。
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岩倉玲音

Author:岩倉玲音
25歳の、、、何でしょうか?

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