無料HP ウラノスの憂鬱 - 2009年07月

ウラノスの憂鬱


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最低のライフサイクルコストで必要な機能を確実に達成するために人生の機能的研究に注ぐ努力

最低のライフサイクルコストで必要な機能を確実に達成するために人生の機能的研究に注ぐ努力


目的定義の要点
1、最低のライフサイクルコストを追求する。
2、必要な機能を果たすものを生み出す
3、機能とコストの関係から価値を追求する

方法定義の要点
1、人生が対象になる
2、問題解決には機能的研究法を活用する
3、個人の努力により達成される

5原則
1、前向きな生優先の原則
2、機能本位の原則
3、想像力による変更の原則
4、他人の影響によるパーソナルデザインの原則
5、価値向上の原則

7つの質問
1、それは何か
2、その働きは何か
3、そのコストはいくらか
4、その価値はいくらか
5、他に同じ働きをするものはないか
6、そのコストはいくらか
7、それは必要な機能を確実に達成できるか

実施手順
1、情報収集
2、機能の定義
3、機能の整理
4、機能別コスト分析
5、機能の評価
6、対象分野の選定
7、アイデア発想
8、概略評価
9、具体化
10、詳細評価



人間の活動一般は複雑すぎて機能を分けることは難しい。
一つの機能が複数の上位機能に属しているセミラティス構造をしているほうが自然ではないだろうか。
街で見かけるポストはその周辺とも関係しているし、遠くのポストとも関係している。
しかし一番基本的な機能はあるかもしれない。
生きる。

テスト

今日、ほとんどのテストが終わった。
水理学で大きな間違いをしたかもしれない。
運動量保存則を習って6年目だというのに全然理解していないということが分かった。
あーあ何でできひんのやろ?
悔しい!



この目さえあなたを知らなければひきずる思い出もなかった

はやとちり

僕はよくはやとちりしてしまう。
今日のテストでもそうだ。
その単語が出てきた途端にそれにつながる稚拙な知識だけが出てくる。
それは言語を理解していないに等しい。
言語の限界は世界の限界と言うがまさにそうだ。(少し違うが)
言語を理解していないということはそれを理解していないということだ。
「おばさん」を「おばあさん」と読み違えるのはとても失礼なことだ。
そうすると言いたいことは何も伝わらなくてコミュニケーションできなくなる。

あの人が猫といっているこの動物は犬でもなくてドラえもんでもない猫だということがわかる。
他でもないそれを言おうとしているのに、それを含むあれと思っていては理解していないことになる。
自分の世界の限界を他人の世界の限界に当てはめてしまうのはおこがましい。

世界は様々な知覚に開かれているのに言語化できなければ説明できない。
言語化する訓練をしなければならない。
論理的に。

自分の中に自分を二人作って議論するといいらしい。
それか、他人を自分の中で復元するといいのかもしれない。
他人が自分と違う景色を見ているという可能性を考えなければならないから。

この世界の劇が自分抜きで演じられることを常に考えているのはそういう煩わしさが原因かもしれない。
しかし自分が接触しなければ自分は自分の外の世界を知ることもできないのだ。



これ以上歳はとらなくてもいい。


人間は一回の人生しか生きられないけれど、他の人生も想像することができる。そのことにはどんな意味があるか

「人間は一回の人生しか生きられないけれど、他の人生も想像することができる。そのことにはどんな意味があるか」

もしかしたら、隣の世界では僕は日本料理店で見習いをやっているかもしれないし、文学部に行って三島由紀夫の本を毎日読んでいるかもしれない。
もしかしたら煙草なんか一生吸わなかったかもしれないし、コンタクトレンズをつけていたかもしれない。
もしかしたら机の上の筆箱の位置をものすごく気にする人だったかもしれないし、面白くないテストでも100点を目指さなければ気がすまない人だったかもしれないし、そもそもテストを受ける人生なんか選んでいなかったかもしれない。
中学生のときから引きこもりになっていたかもしれないし、ミスコンにだって出ていたかもしれない。

でもそれはあり得ないことなのだ。
今の自分はさっきの自分だけが決められるものじゃないからだ。
もしも、先日の些細な決断で右にしたとしても、今の自分はそう変わりないと思う。
もしも、「あの人に出会わなかったら、今の自分はいなかった」という人がいるかもしれないが、そういう人はあの人のような人にいつか出会ったはずである。
もしも、「あの人がいなければ今の映画界は無かった」という人がいるかもしれないが、あの人がいなくても、あの人のような影響力を持つ人がでてきたはずである。
そうでなければ世界中を見渡したときに常に同じような状態になっていることがあるだろうか。
働くアリばかりを集めても、働かないアリの割合は等しい。

しかし、自分が強く、思うならば変わることができるのだろうか。
他の人生も想像できるということは、他の人生もあり得たということだろうか。
なぜ、自分の考えていることが自由だと言えるのだろうか。
疑いつくしても、最後に残るのは考えている自分だからだろうか。




by定期テストに苦しむ学生

うーん

今日、小学校の同級生と久しぶりにメールをしてイラッとすることがあった。
どっちもほんの少しの思い通りにいかない苛立たしさが積み重なってのことだった。
ましてメールを使っているのでますます思い通りではない相手を作ってしまった。
そしてこの相手はいろいろ恋愛的にムツカシイことがあった相手なのであった。(本人はそう思っていないと思うが)
そういう風に衝突すると、知らない間に体がイライラに犯されてきて自分を反省する機会が与えられるのは、まあいいところだと思う。

最も楽な生き方(平和な?)の一つは、相手が思っている自分と、自分が思っている自分が合っていることだと思う。(合わせられればいいが、それはしんどいかもしれない。)
そういう風に相手と自分に気遣うことができればいいが。

自我はある意味では自由だが、すべてをその支配下におき、自己の外部を欠いているという意味では孤独である。他者が絶対的な他者であるならばそれは常に私の理解を超えて逃れさるようなものである。
私は他者を了解する。しかし他者のうちで了解からこぼれ落ちるもの、それこそが他者であり存在者なのだ。

最近、悩むことも、将来を考えることもあまり無いので、飢えを知らない能天気な中学生のような生活を送っている。一番の悩み事といえばテストだが、そういえばこれは最近の大きな悩み事だった。今年取れなければ留年なのだ。しかしそこに私学の罠があるように思えてならない(負け犬の言い分)。大体、追試が無いというのはどういうことなのだ。テストを機会に勉強させたいと思うなら、追試をやってもらいたい。(追試でよく理解できるという考えを持っている劣等性の個人的な意見)そうでなければ毎回の授業でやればいいのだ。
しかし、大学は自主的に大金を払い、学びに来ている学生諸君が集まっているので、そんなムダな努力は教授はしなくてもよい。テストなんかしなくてもよいのだ。
テストなんかなくなってしまえー!



最近、東浩紀を読もうと思っている。
動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
(2001/11)
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批評の精神分析 東浩紀コレクションD (講談社BOX)批評の精神分析 東浩紀コレクションD (講談社BOX)
(2007/12/04)
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僕は何かで価値が保証されていないと手を出さないという権威主義的なところがあるので、東浩紀の価値が保証されていると感じたときに本を読もうと決断することになった。
哲学者の本は時代が違ったり、遠くの世界のことをお書きになるので何を言っているのか分からないのだが、東浩紀はその点ではものすごく分かりやすくてエロゲーなど身近(あまり身近ではないかもしれないが、監獄なんかに比べると身近かもしれない)な題材からいろいろ考察する。
これを読んで確信したのだった。

最果てのイマをやろう。
クラナドを見よう。
うる星やつら2を見よう。
エヴァンゲリオンをもっかい見に行こう。
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岩倉玲音

Author:岩倉玲音
25歳の、、、何でしょうか?

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