ウラノスの憂鬱 - 2009年09月

ウラノスの憂鬱

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やるべきこと

コミュニケーション能力を伸ばそうなんてそういうものは目標にすることじゃあない。
今、目の前にあることをやるということしかできないよ。
つまり、提出期限を守る、とか当たり前のことを当たり前にやること。
これが、難しいのです。

なぜ、難しいのか。

①自分がやりたくないことだからなのか。
それならば、それが必要なことなのか、不必要なことかを考えてみる機会になる。
しかし果たしてその判断ができるのだろうか。
そうは思えない。
やりたいかやりたくないか、ではなく、やらなければならないか、そうでないか、という考え方をしなければならない。
全部、やらなければならない。

②できないからなのか。
なぜ、できないのか。
Ⅰ方法が悪いのか。
Ⅱ能力が欠如しているのか

Ⅰは気づくのが難しいが、できないことはない。
Ⅱは判断が難しい。果たして、方法が悪いのだろうか、元々向いていないのか、やりつくしてみなければわからない。
しかし、やりたいことの能力が欠如しているという事実は受け入れがたい。その場合、強烈な敗北感を味わなければならない。つまり、ライバルがいるということだ。
しかし、その後、道は見つかるのだろうか。見つけるために精神的なタフネスと順応力が必要だ。



最終的な目標を決め、遡って現在やるべきことを決める、ということは、やるべきこと、一歩を踏み出すための原動力でしかない。ボトムアップで、最善の方向に向かうための手段である。

短期的に最善な選択の積み重ねが最善の結果につながる。
最善ということは一番ということなので、限界でなければならない。
がんばれ
 
 

Fear

最近 心を蝕む不安
学ぶ学校がもう直に終わるということ
そして21歳ということ
そのことによって変わらなければならない、つまり永久に失われるものがあるということ
好きなものが好きじゃなくなるかもしれない
苦しいこともなくなるかもしれない
なぜ、そこで、そのように生きているのか
ということをはっきりしなければならない
打算的、ということは欺瞞なのだろうか
どうすれば、自信満々に、誇りを持って生きられるのか
わからない
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そのことが不安で、煙草の量が増えた。


自分のやりたいことをやっているのが幸せか?
社会に一番貢献できると思っている方法が幸せか?

現実との差を埋められるのか?
そうして結果が出せるのか?
結果を出すために100%の力を注げるのか?注いだと言えるのか?

自分が生きたい生き方ができるわけじゃない
そしてその生き方が一番いいわけじゃない
わかっていても一番生きたい生き方に進むのは、まだ知らない世界を知る手順なのか?
わかっていても一番生きたい生き方に進まないのは、ダメな人間だからか?なぜ、理想があると分かっていてもそれに進むことができないのか。

自分の進んできた道が一番と自負する力が必要になってくる
多少、道を狭めようとも

怪我しても自分はいいけど、周りの人は悲しくなるよね
そういうことが原動力になればいいのだけれども

自分の中だけで考えていても何の解決にもならない
失敗しても、実際に、動かなければ分からないことが多い
そのことが、自分を構築するヒントになる
追い込む材料になる

なぜ、そうしているのか、ということに答えを出さなければ生きていけないので考えている
なぜ、そのような問いを立てられるように、苦しんで生きるような、生き方しかできないのだろう

運命といえば、やる気がでるのかもしれない
神様の啓示だとすればどんなに楽だろうか

でも僕は信じない。
はっきり言ってどうでもいいようなことを奮い立たせる口実じゃあないか
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最近、どうでもよくなることがある。(前から)
「永遠回帰」にヒントがあるのではないかと思う。


例えば、好戦的な集団が襲い掛かり、人々を殺戮し、金品を奪っていったとき、強奪された人々は好戦的な集団を「悪いやつら」とよぶ。
それに対して何の落ち度もない自分達は「善い」
武力や知力で勝負にならない場合に「道徳的尺度」を持ち込み、相手に対して心理的優位にたって、溜飲を下げようとする態度から生まれたのが「善悪」だとニーチェは言う。
その根底にあるのは強者・勝者に対する弱者・敗者の妬み(ルサンチマン)に他ならない
すべての価値は人々の中にあり、あるいは社会心理として存在するルサンチマンによって生み出された。いかなる価値にも、じつは価値はない。また、善悪の根拠として想定された神やイデアももはや無用である。こうした価値の脱価値化がニヒリズムである。

ニヒリズムを別の角度から見ると、「永遠回帰」思想に帰着する。現実社会においてはすべてが絶え間なく変化しているように見えるが、すべては同じことの繰り返しで、しかもそれが永遠に続く、というのである。変化は「よりよい」方、あるいは「より悪い」方への変化だが、そもそも「よりよい」「より悪い」と言えるのは善悪の尺度が存するときに限られる。すでにニヒリズムによって善悪という価値が欺瞞であることが判明した以上、もはや「よりよい」「より悪い」とはいえない。内容がいくら入れ替わっても、つまりは同じことの繰り返し、永遠回帰なのである。
永遠回帰という事態を怖れ、目を背けるのではなく、その事実を頭から呑み込むことができる。なにをやっても結局、同じことだという事実は、すべてをむなしくするものである。
だが、それでも、「よしもう一度」と心から言ったとき、すべてを受け入れることができる。それができるのが「超人Ubermensch」だ。
「人間は希望を持つ存在である。なにも望むものがないとき、人は無を望む」
とニーチェは言う。
なにかを「望む」とは現状にくらべ「よりよい」ものを手に入れることだが、ニヒリズム思想からすれば「よりよい」ということは言えない。
をれを悟ればもはや何も望むことはない。何かを望むのが人間だとすれば、なにも望まない存在はもはや人間ではない。それは「人類」という範疇を超えた存在、すなわち超人である。

永遠回帰という事実を受け入れたときにあらわれるのが「力への意志」である。
「力への意志」において、それをもつ主体は存在しないし、それどころか、自我や主体、「わたし」すらも力への意志の所産なのである。何らかの選択において、ひとは当然悩む。
けれども、悩むとは、すなわち、一方へむかおうとする力への意志と、他方へ向かおうとする力への意志が拮抗している状態にほかならず、選択とは、力への意志動詞の拮抗の結果にすぎない。
われわれは、何かをしようと意志することはできるが、意志を意志することはできない。
選択の結果を人は「わたし」の選択と思う。
こうして一瞬生まれた自分が固定化され、実体化されたとき「自我」という虚構が生まれる。
一瞬の現れを肯定し、そこに見えるものを実体化する傾向をニーチェは「眺望固定病、パースペクティヴィズム」と呼ぶ。
それは絶えず変換する、力への意志を固定し、抑圧するメカニズムだ。



宇宙にそもそも善や悪は存在するのか?良い、悪い選択というのはありえるのだろうか。

最近、景観というジャンルの学問を学んでいるが、多少うさんくさいところがある。
高度成長期を終えた日本を見渡し、経済性のみを重視した建造物がそこらじゅうに広がり、同じ景色が展開されている。
そのような状態に異を唱えた、という印象を持っている。
どこそこの土木構造物は周囲の景観に溶け込んでいて、良い。
ここからの視点場から見える山が、良い。
地域の風土に根ざした、歴史性を考慮したデザインが良い。

高速道路を微妙にくねらせ、周囲の景観に溶け込ませたデザインが良いというのは違和感がある。
歴史性を壊したものもまた歴史ではないだろうか。
田園風景の中に突然現れる鉄塔の景色。
アニメに影響されすぎだって?本来はあってはならないものだって?

ル・コルビュジェの300万人の現代都市は、あいかわらず綺麗に思える。
ただ、都市計画というものはあまりにも複雑すぎて、トップダウン方式では成り立たないということだ。
多くの人にとって、そこが住みやすいか、という基準。
多くの人が共感できるものがあるという前提がないと成り立たない。
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ニヒリズムに陥るのは非常に危険だ。
虚無は健康的ではない。

しかし、現在は希望も絶望もないのではないか。
滑らかな曲線で構成されるチリ一つない美しい未来都市。
廃墟になった高層ビルと無秩序な荒廃した未来都市。
という都市にわくわくするものだが、最近、そういうものがない気がする。
一体、希望が絶望かどちらを抱けばいいのだろうか。

ヒューマンスケールのギリシャの古代都市が住みやすかったかって?
やっぱり巨大な建造物はひとには合わないかって?
必ずや価値が転換するときがくるというのに。



よりよい生き方を選択してるって?
よい生き方っていうのは何だ?
楽しいこと?
楽なこと?
やりがいがあること?

日々に幸せがあることが一番幸せ?
今日はいい天気だ、とか、おいしい食事だ、とか。
今あるもの全てを肯定できる哲学がほしい

 
 

おひさしぶりです。

夏休みが終わった・・・

夏休みは、去年に比べていろんなことをしたが、中でも「九州デザインシャレット」
に参加したことが本当に大きい。

九州デザインシャレットとは、九州の大学が中心となって運営しているイベントで、九州のある地域を数人のグループで一週間の間にデザインするというものだ。

早めに行ったほうがええやろーということで参加したが、本当にきつかった。
体重は3キロ落ち、髭はぼーぼーになった。
最後の日はただでさえ睡眠不足なのに、徹夜で模型を作るものだからつい一週間前に始めて会ったメンバーと感情剥き出しの状態でひじょーにぎすぎすしていた。

そこで学んだこと
ムダ話ができるように!
些細なことも口に出すように!
自分のポジションを確立してわきまえるように!

という技術以前の問題
あーぁ、完全燃焼していないと思っているのは傲慢なんだろーか。
絶対失敗だよー

まー、講師の田中先生http://www.arch.kumamoto-u.ac.jp/tana_lab/top.htmlのスケッチ、星野先生の軽さ、仲間先生の頭の回転の速さ、樋口先生のヤクザっぷりに触れられただけで行った甲斐はあったんじゃないかなー。

田中先生は早稲田の古谷誠章先生の弟子で、スケッチが本当にすごい!(全部すごい)
数千万円の価値はある新宿駅を俯瞰したスケッチとか、うにょうにょの階段とか、見させてもらって本当に勉強になった。
人間、がんばればできる!いや、一部の人間かな