ウラノスの憂鬱 - 2009年11月

ウラノスの憂鬱

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不満ばっかりの考え方が悪いということは知っている。
でも、不満を言ってしまう。
ここで、不満を言っているじゃあないか!

そんな自分がいて、その自分を認めるのは嫌だ。
という考えから脱することができないときはどうすればいい?!
なりたい自分と、なろうとしてなれない、余計に醜い自分のギャップがますますひどくなっている。
変えられると思って、変えられない自分がそこにいたとしたら?
そして、あの人はできるのに、自分はできないというところをどう受け止めたらいいの?
そして、その努力の根源が薄っぺらいもので、本当は努力なんてしていないということに気がついてしまったとしたら!
その醜さが他人を傷つけ、決して良い方向に向かっていないということを知りつつも、それをやるしかないと、薄っぺらい型にはめ込んで、行動している小さな自分に気が付いたとしたら?
以前なら、そんな自分を受け入れて改善するべきと言うところだが、改善するべきところがもしかして変えることができないとしたら?
そんなことを言うのは、まだまだやりたりないから、と思っていた。
やり足りることができるのか?

なぜ、そんなことを言う?
経験上、うまくやっていると思っている人ほど、うまくやっていて、そうではない人はうまくやっていないし、自分を責め、悪い結果になるということは知っているのに。
もしかして、心の底では自分を信じてはいないし、それでよいと思っているのでは?
そう思っているのなら、それで満足している自分もいるはずだが、そうならないのは、自分のことをよく知らないからでは?信じていない自分も信じていない。
それが間違い?

この苛立ち!
何か間違ってる。



ある一言に帰結する概念が頭に思い浮かぶ。
それを口に出せば、全てが破綻することを知っている。
一方でそれを思考に取り入れることで、この世界全てが自分にとって整合性のあるものに変わるということを無意識に知っている。

皮肉なことに、その一言が強烈に、最も知りたくない自分を浮き彫りにする。
ニヒリズム
それによって全ての問題は解決し、平穏で暗黒の世界が広がる。
心の奥から根付いているこの危険で凶暴な悪魔を果たして取り除くことができるだろうか。
それとも、取り除かなくてもよいということを受け入れられるのか。
それを考えるだけの希望は残っているようだ。

 
 

最近は何だか課題が多い。
常に7つほど課題を抱えている状態だ。
一つ一つ課題をこなすので一日が終わり、一週間が終わる。

やりたいこともできないが、この忙しさでないとやれないこともある、とポジティブに考える。
そして、それをやりこなすには自分が何かを発信する存在にならないといけないなと感じる。
軸がないと、ふわふわ流されてしまう。

明日までに「古代の神々」の発表資料を作らなければ・・・

 
 

仕方なし

仕方が無いということでかたずけているのではないか。
仕方が無くはない。
もう、自分を否定しなければならない。
多分、教授が疲れていたのは僕のせいに違いない。

否定する?
その先に肯定する事実を作らなければならない。
それこそが重要だ。

自分抜きで語られる世の中を望む。
それは甘えだ。
自分で語る世界を作らなければならない。

それをよもや3日後に忘れるわけはあるまい。
なぜ、自分と、他人の考えている自分、自分が考えている自分が乖離するのか。
それは事実を見ていないからだ。

事実を受け入れることがこんなに大変だとは。
ましてやそれを変えることなど・・・
 
 

なぜ働く?

ようやくインターネットが繋がった。
価格comからBIGLOBEの割引のコースを申し込んだが、料金の不満を誰に言ったらいいかわからん!
BIGLOBEは料金を明記しろ!
価格comは割引4万円を1年後に払うな!
NTTが全部やってくれよ!


昨日はビックサイトの就活イベントに友達と行った。
コミケ並みの人口密度!
様々な企業がブースを出し、30分ほどでHPに載っている当たり前のことを説明する。
京葉ガス、JR東海、ニトリ、東京都、などを見た。
皆、同じことを言う。
私達が求めているのは、自発性があり、問題発見能力があり、実行力があり、忍耐力があり、協調性のある志の高い人ですと。
「私たちには大きな目標があり、これを実現できると信じてやっています!」
という店舗数拡大を目指すニトリのパワーポイントには「欧米並みの生活空間の豊かさをもたらすこと。」と書いてある。
日本の生活空間が貧相やってか?!スウェーデン行け!


家が完成したら一緒にバーベキューするんですよーって言ってる住宅会社がある。
初任給30万円としかアピールしていない企業がある。
世界の食糧危機うんぬん・・・と言ってる会社はすき家やなか卯を経営しているゼンショーという会社だった。
ラスベガスの写真が貼ってあり、「世界を舞台にアミューズメントを!」と言ってる会社はパチンコのマルハンだった。
皆、プレゼンしている人はかっこいい。

その中で、一番おもしろかったのが、カジワラという食料加工機器の製造会社だった。
人もまばらなこじんまりした理系ブースでお菓子がおいてあるブースがあったので、ちょっと見てると、「こういうの興味ないですか?!10分で終わるんで良かったら話聞いてください!」
と学園祭ばりの学生引き。
営業職と機械系の技術職しかないので、社会環境工学科の僕は全く関係ないけれど、こしあんを作るまでの過程や、でっかいドラム式洗濯機のような機会で作る焼きそばの話や、BtoBで大手企業と多く取引しているという話を聞いていくうちにこういう企業もおもしろそうだなと思った。

人の役に立っている!と実感しやすいのは料理を作っている人ではないだろうか。
という考えがあるので、こしあんを作り、それが全国の人が食べて、おいしいと思えるような仕事っておもしろそう。世界うんぬんとか言ってなかったし。

企業の目的は社会貢献であり、企業を維持、発展させるために利益を追求したり、社会的責任を果たす。
自分のヴィジョンと会社のヴィジョンが合わなければモチベーションを維持することができず、役に立たない人材になるだろう。(それよりも職場や取引先との人間関係の方が大きいような気がするが。)
しかし、本当に大抵の人は自分のヴィジョンが持てるほど、賢明で、社会に発信できるような意見を持っているだろうか。
そんなもの持っていたら色んな職種の会社など見る必要も無いと思うし、大体、会社のことなんてそんなに分かるわけがない。せいぜい働いている人くらいだ。
就活しているうちに、自分が本当にやりたいことが分かりましたなんて本当に分かるんか?

と言ってる自分に相当な問題があるのだろうということは自覚している。
以前、授業中に教授が、「普通なら、皆さんは受かります」と言っていた。
果たして自分は普通か普通じゃないかぎりぎりのラインに立っている。ということを考える。
自分が普通かどうかというのは大学に入ってからの大きな悩みだ。
普通でありたいが、普通ではだめ、とそうありたくない自分もいる。

イベントでは私服でオッケーなのに99%はスーツだ。
ほとんどがスーツで来ると分かっていながら私服で来るという協調性の無さが企業に悪いイメージを与えるという恐れからだ。そんなことははっきり言ってどうでもいいことだと思うが。
と思いながらもスーツを着るしかない。


僕は大学院に行ってしこしこと勉強したいと思った。



最近勉強していて自分が本当に馬鹿だと思うことが多い。
間違いか、立ち止まる問題に出くわす。
どこが間違いか分からないので、同じことを繰り返す。
違う方法を取らなければならないが、すぐには移行できない。

僕は、ここが絶対に合っていると言えない。確信がない。
さっきやったことと今やっていることを包括的に結びつけることができない。
やる前も問題を俯瞰して見ることができない。

あまりにも行き当たりばったりなので、論理的思考能力以前に、僕は人よりも短期的な記憶を引き出す能力に欠けているのではないだろうかと思う。

もう一つ気が付くことがある。
発表するときもここをこう結びつけて、こう繋がってその下に何々がある・・・ということを考えているのに、前の能力の欠如により、今、発表している内容と、次に発表する内容を同時に考えることができないので、話が繋がらなかったり、思考が停止したりする。
これにはもう一つの能力の欠如がある。これは普段の行動においても、今行っている行動が未来に与える影響を考えることができないので、その場を凌ぐだけの低レベルな生き方しかできない。
長期的な価値判断ができないのではないだろうか。


最近不満が多い。
自分や社会に対する。
不満を克服することができないので、当分不満を募らせておこう。
自分の意見が間違っていたとしてもそれを正当化する努力をしよう。
僕はまだ若い。



最近の心の糧はニーチェだ。
基本的に僕は、「否定する」ということから始まる場合が多いので、何となくしっくりくる。
自我も真善美も存在しない。
そんな苦しい世界を見てほっとするのはなぜだろうか。