ウラノスの憂鬱 - 2009年12月

ウラノスの憂鬱

Home > 2009年12月

 

とるに足らない些細なこと

26日晩、学科の、気の置けない友人3人で居酒屋に行き、前々から約束していた飲み会を開催する。しかし、そのメンバーでなぜ、べろんべろんに酔っぱらったのかはわからない。普段、正常な判断力を持っているならそんなに体力を消耗する面倒くさいことをするわけがない。多分パインジュースで割ると飲みやすかったのと、安物の焼酎だったからに違いない。まあ、あとは、なんだかぼんやりとした不安があったから。
3人で焼酎(約)3本空ける。
記憶が断片的だが、うっすら覚えていることには、恋愛遍歴を語っていたような気がする。
「僕と彼女の手の間には4光年の距離があった!」などと清純な中学生ばりの迷言をかましていた。
その後担がれながら、ソルマックを買い、駅のトイレで吐いたようだが、定かじゃない。
最後には、終電で帰るわと言って、ふらふらしながら、顔面蒼白で電車に乗った。
電車の中で始終「ここで吐いたら終わり!」と体の力を振り絞ってなんとかして、分解しきれないアセトアルデヒドを対外に排出しようとする胃を自制していた。
そして、無事に最寄りの駅トイレで吐くことができた。
寝るまでに6回は吐いて、前後に揺れる便器に向かって、いつもながらにそのときの神様に「ごめんなさい」と謝った。

27日の早朝、二日酔いの頭を抱え、東海道線に乗っていた。
大阪に帰る友人と青春18切符で一緒に帰る約束をしていたのだ。鈍行で10時間かけて帰るのは楽しい。駅から見える景色は日本全国一緒だが。
高田馬場駅集合7時だったが、携帯電話が鳴り、7時であることを知った。頭はガンガンし、遅刻すると思ってたわとあきれる友人を1時間待たし、遅れての出発になった。後にわびとして、「島田」駅近くの居酒屋で500円分のタコライスを奢った。そのころには二日酔いはおさまってきていた。名古屋駅周辺で降りてみそかつ定食でも食べようかと考えていたけど、豊橋駅構内にある立ち食いそばがあまりにもおいしかったので予定変更。300円で香ばしいきざみあげ、ねぎどっさり、だしもかつおが効いている。これぞ立ち食い、これぞ旅路飯である。寝る寝る寝る寝る。
国際会館着9時45分。
実家周辺は空気が土臭くて、澄んでいる。そして、ピリピリ寒い。
実家は年寄りしかおらず、もうすぐおじいちゃん、おばあちゃん家になりそうな予感。

29日は高校の友達と飲み会。
皆、何も変わらず、書くことなし。
ひとつ、驚いたことには、同学年のやつが死んだということ。
大学でも自殺の現場を見た。

最近、「死」が案外近くに迫っているという危機感がある。
そして、考える。
才能あるやつは、若くして死ぬ。
それがあるいは全くの偶然であろうと、幾人かにはこのような思いを抱かせる。「やっぱり」
それは偶然ではないのだ。
知ってか知らずか、偶然の綱を手繰り寄せ、そうめぐり合わざるをえない。
犬のフンをいつも踏むやつがいた。
それは犬のフンに対する危機感のようなものが人よりも、ほんの少しだけ欠けていたから起こったのではないか。
あるいは、そのような危険性とを引き換えにし、得るものもあるだろう。
その状況はもはや偶然ではないのだ。
もちろん、すべてが偶然ではないということではないが。
あまり、言うと、倫理的に問題がある。
しかし、起こるべくして、物事は起こっている。という考えがこびりついている。
 
 

我、思い、語る。故に我、我に関わる世界あり

設計事務所のバイトで、スチレンボードで地形の模型?を作った。
朝の10時~夜の10時まで、何十枚も切られるスチボの曲線、窪み、角度、積み方、糊跡には、その人の全てが現れてるのだ!
もっと考えろよ!
今はいいけども、スチボを節約する、というその些細に見える行為に「生きる」という問題が潜んで現れるということを今日教えてもらい、知った。
生きよ!生きよ!

ブライアン・イーノ、蒼井優、三島由紀夫を語る、そのような行為に潜んでいるというのだ。
語れ!語れ!
愛せ!愛せ!

あらゆる価値の此岸にいる自分は全てをはっきりさせなければならない!
そして進め!

というわけで、それ以前に、ここに、それを表明しよう!
 
 

新しいアルバイト

新しいアルバイトを始めた。
設計事務所で、せっせと模型を作るバイトだ。
仕事で使う模型なので、精度が要求される。
なにぶん久しぶりなので、面取りを勘違い。
さらには、結構ぶっ通しなので、疲れた。
事務所はできたばかりで、お二人とも、建築から土木を行き来するキレキレ者である。
いつまでやれるか分からないけど、いろいろ盗ませてもらおう
そして自分を養おう
うん、緊張感はいいもんだ
 
 

区切らない代償、エンドルフィン

智代アフターの曲、Light colorsばっか聞いてるなー最近
ほんまええ曲やな
あとは、アニメ全然見ない僕が毎週見てる「とある科学の電磁砲」のヒロイン御坂美琴MADばっか見ていて、僕はやっと時代に追いついた、と高らかに叫びたい。ふふふ・・・

文化系トークラジオというのがおもしろい
http://www.tbsradio.jp/life/index.html
ゆる鋭いチャーリーがすごいなー
何だかテクストよりも音声のほうが頭に残る
バロール>エクリチュール

 
 

過去の人間が思いしこと、意図的に書かれない事柄

ある方が僕のことを「ぼんやり君」と評した。
そのことで、チャンスがなくなりかけたものだから、僕はそのことを取り返すためだけと言っていいほど奔走した。
何を取り返すのだろう?
必要とされる存在!
つまり、「ぼんやり君」は、「ぼんくら君」に違いない。
しかし、惨めだな。
否定されることでしか燃え上がらない情熱。
そのことが一番憂うべきことなのに。

ソーシャルスキルとは、透明になって合わせることじゃない。
出る杭になって働きかけること。
多くの人と違う、そのことが働きかけることから遠ざけた一番の理由ではなく、必死さ、そのことが理由なのだ。
一度でも必死になったことがあるだろうか。

ぬらりぬらりと生温かいお湯につかりながら、何も知らない子羊が後ろを振り返って考える。
この道は、元々あった道だろうか、僕が作った道だろうか。
下り坂だから進んでいるのか、誰かが押しているのか、それとも、僕が動かしているのだろうか。
なぜ、動いているのか、どこまで進んでいるのか。

無論、この車は停まっている。
見ると、取り損ねた部品が散らばっている。
見ると、無数の分岐点があり、道が敷かれている。
それでも、一人だけが谷底で生温かいお湯につかって、周りを見ようともしない。
しかしどうやら各地点に設置してある、綱をたぐり寄せて進んでいるようにも見えるが、進む方向が定まっていないのと、どうも、動力が足りないらしいので、進んでいるようには見えないようだ。
周りの多くの車は、何かに従って速度をあげつつあるが、それも横目でちらと見るだけだ。
お湯は冷めつつあり、よく見ると、体は震えているが、寒いだけではないようだ。
このままでは死んでしまいそうなので、私は怒鳴ってやった。動け!
ずっと、停まってしまうと、価値に見合わない高額なお金を支払わなければならない。
その後、少し動いたようだが、また、停まっているというのだ。
このぼんくら!と言ってやった。
そうすると、上を見上げて僕は、あなたがいるから何も解決しない。それじゃあ何も進まないわけだ!と言い返してきたのだ。しかし、そうは言っても、私は依然消えることはできない。それを乗り越えろ!このぼんくら!