ウラノスの憂鬱 - 2010年04月

ウラノスの憂鬱

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どうも、最近、生活リズムが逆転して、朝にならないと寝付けなくなってしまった。特に、その日にやらないといけないことが少ないからだ。バイトも会社が忙しいらしくて、今月全くないからなあ。研究室配属は無事に決まって、景観・デザイン研究室のS教授のところだ。まだ、忙しくないが、これから忙しくなるのだろう。そう、忙しくあってくれ!生活リズムをそれで取り戻したい!習慣というものは恐ろしいもので、あまり外にでることがないと、今日も外にでんでもえっかーという気分になる。映画見にいこっかなーと思っても体が動かん。外に出ないと、考えが不健康になって、とても不安になる。頭で考えてもどうにもならないことばっかり考える。このままでええんやろか、このままでええんやろか、と考えるようになる。頭の中ではどんどん他人が輝いて見えて、自信がなくなる。考えていることは、この部屋の外に出ると、僕はどうなるのだろうかという、外のことばっかりである。そのうち、自分をシミュレーションしてみて、結局、この部屋にいることが自信の喪失となって、悪い方向にしかいかなくなる。そう、何かを限界までやり続けなければわからないことがある、そして、この状態は限界かということである。自分がそうすべきことをできないということはなぜなのか、わからない。しかし、そうすべきではないから、そうしていないという楽観的な考えが良いのだろうと思う。やっぱり、頭の世界は狭くて、柔軟性に欠ける。それは、部屋の外に出て、喋っている自分を見るとわかる。客観的に見ると、こんなこと喋っているんだなあ、と、自分が思い描いていた自分と違うことがわかる。シミュレーションしていた自分は自分の一部だということがわかる。

宮台真司のサブカルチャー神話解体という本に、個人の人格特性を、統計的にまとめたものがある。
それによると、自分が思い描いていた自分のイメージと現実の(他の人から見た)自分のイメージの間の乖離を埋めるために、人格システムが形成される。
そして、統計的に分析すると、5つに分類される。
1、ミーハー自信家(学習的適応戦略)
2、頭のいいニヒリスト(負の先決戦略)
3、バンカラ風さわやか人間(正の先決戦略)
4、ネクラ的ラガード(退却戦略)
5、友人よりかかり人間(模範的戦略)
である。
詳しくは書けないが、なるほどーである。全ての人に当てはまりそうである。
ちなみに僕は、4がちょっと入った2のような気がする。
ちなみに、2とは、期待水準を低めに設定することで、期待はずれに対する免疫を獲得するというものである。
4とは、期待はずれが生じうる領域(対人領域)から脱却する非活動的なシステムである。
あ、ちなみに、1は高度な情報処理能力を用いて期待水準を自在に変更する、柔らかいシステムである。
3は期待水準を高めに設定し、期待はずれには当為的、規範的に対処するシステムである。
5は近隣の活動的なシステムに追随する、模範的なシステムである。

絶対、1と3がいいに決まってるやん。
まあ、何にせよ、自分が説明された気分になるというのは安心するものである。
これが全て正しいというわけじゃないと思うけど、こういう風に言えるということやな。


朝になると、ほっとするがぽっかり心に穴が開いた曲が聞きたくなる。
1つ目はスクエアプッシャー。
2つ目はシリアルエクペリメンツレインというアニメの主題歌のリミックス。




 
 

「不安」と「信頼」。その人によって変わる対の感情がある。そして、どちらをベースにして行動するかによって、結果が大きく違う。不安を抱えている人は不安を解消するために行動する。例えば、将来の生活に対する不安を抱え、それを解決する方法として、企業に入社することを目標とし、達成したとする。そうすると、不安を抱えている人はその後働かなくなるに違いない。働いたとしても、役に立たないだろうと思う。「信頼」の人に比べて、「不安」の人は世界が閉じている。なぜなら、他者に対する不安の態度そのものは、自分の存在に対する不安から生まれるからである。自分の存在理由が確保されれば、それ以外のことは知ったこっちゃないのだろうと考える。不安な人はほとばしるやる気や行動力は少ない。やる気や行動力は不確定な未来に進むために他者や自分を信頼することによって成り立っているからだ。信頼な人は外に向けるエネルギーが多い。これはより良き生に違いない。良き生というものは、今の一瞬を濃密に生き、死ぬ間際に自分の人生を振り返ってこれで良かったといえるものではないだろうか。自分が愛され、感謝される存在であること、これらは外に向けるエネルギーが多いほど得られるものである。なるほど、もう一つの証拠として、信頼な人のエネルギーに惹かれ、真似したくなると思うことがあるように思う。誰しも、このような人になりたい、という人が身近にいるはずだ。概して、その人たちは自分を信頼することによって生まれる自信を備え、公共心にあふれている。