無料HP ウラノスの憂鬱 - 2011年04月

ウラノスの憂鬱


2011年04月 の記事一覧

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ナルシスト

樹が生えている。
長い年月を経てずっしりと佇んでいる姿は、何事か些細な変化があっても存在し続ける安心を感じる。
根が立派な樹は枝ぶりも立派だ。
人間で言うと、表現された絵、音、日常的には主に言葉からその枝ぶりがわかる気がする。
どのような人であるかは、概観できないため、一部の枝から推測することになるが、どの樹も先の枝の細さは同じなのに、なんとなく、全体の匂いはわかる。
そして、どのような匂いを感じているかは、言葉に出てくる。
「~であるのはなぜか?」「~でないのはなぜか?」
後者の問いを自分とは他の樹に問われるとキツい。

4/14

4/14

早い時期に信ずるに足る基本的な考えを選びとり、それから考えを広げ、深め、磨く。
そして最初の選択が正当な理由についてなされれば、その生き方は巧くいく
しかし、それは自己への倦怠をもたらす。
知的な自己満足は人間を駄目にし、知的な対決(自己を自分自身と対決させること)ほど人間を活気づけるものはない。
-カシミール・マレーヴィチ-

□ボクは巧く生きている人間は好きじゃない。
かといってボクは巧く生きていないわけじゃない。
(でも本当は巧く生きていないんだよね。でも自分のこと好きなんて言いたくないな)

□何で生きているんだろうと考えることは、たぶん、生きていることと同じだと思う。
そして、そう考えることは自分の存在を否定する意味が幾分か含まれているような気がする。
自分の存在を否定(死)することを常に意識することは生きていることと同じだろう。
巧く生きている人が、全て、最初から巧く生きられる考えを持っているとは思わないけれど、その後の人生が全て巧くいっているとしたら、それは何かをごまかしているに違いない。と思う。

□何かを失っても、自分の身を守るために正当化したくない。
無くなるものは無くなるべきだし、死ぬべき者は死ぬべき。
それでもやっぱり生きるに足る理由があると、なぜか、ア・プリオリにわかる。

□「すべき」「だめ」枠組みにそった命令と、否定は、「しよう」「いい」という意志と肯定よりも、人生の道筋を示してくれるけれど、なぜ生きるかは示してくれない。

□でもボクはやっぱり枠組みに当てはめたり、否定することに相性がいい・・・その場合、他人に否定されることで自分の存在を意識することが多い。自分で「すべき」「だめ」と考えることはそのまま受け入れられるけど、他人に言われると反発し、自分の存在を正当化したくなる。

□なぜか、生きるに足る理由があるとわかっているからこそ、自分の存在を正当化すること、は間違っていないと言いたい・・・

□正当化?違うな。正しくなくてもいい。正当化は生きることについて言っていない。社会で生きていくために多数派である、「正」の側につきたいだけだろう?そしてそれはなぜか。安泰な生活で鈍感さを養い、生きやすくしたいからだろう。

□生きることに足る理由がある。しかしそれは生きることに対して鈍感になることじゃない。生きることに足る理由が見つかったなら、そのときは死んでもいい・・・

□でも注意しないといけない。生きることに対して敏感になると思っていることが、自分を正当化していることがある・・・

□そう、今日は誕生日。ボクは生まれてから22×365日=8030回も昼と夜を繰り返し、あまりにも生きることを経験してきたがために、鈍感になろうとしている。自分の限界を推し量り、何とか鈍感に生きる道を探そうとしている。

□もう一人のボクがささやく。鈍感でもいい。ただ、薄っぺらく生きるだけでもいい、と。敏感に生きているフリをして満足していたいのだろうと・・・

□もう一人のボクは常に反論してくるために納得がいく答えがでることはない・・・悲しいことにもう一人のボクは常に外にいるので二人が同じになることはない・・・

□一人で生きていくことは限界かもしれない。誰か、生きていくに足るボクと全く交わることのない外のもう一人。その人を探すか、作るしか・・・

Ugly mirror


ボクはよく口をつぐむ。
何も言わないことは何かを言うことと同じくらい大事だろうか。
知らないことがあるということを意思表示するときに、何も言わない方が賢明だろう。
そう、「賢明」

何かを言うとき、どの思考レヴェルで、どの条件下の元であることを自覚することはだいじなこと。
ゴールを急いではいけない。

人と喋ることはだいじなこと。
いつか自分が喋るときに気付くだろう。
自分の曇った鏡にいつか喋った人との会話が写っていることを。

人と喋っていて気付く。
自分の鏡がどのように曇っているか。
他人の鏡に自分がどのように映っているのか。

見たくない。


何これ?


潤滑油になってはいけない。
歯車になってはいけない。
エンジンじゃないといけない。

エンジン?
何で動いている?
歯車があるから動くんじゃないか。
お前は頭が悪いんじゃないのか。
エンジンはどこに行くかなんて知るわけない。
本当にお前は頭が悪いな。
そういう疑問が出てくる時点で、そういうことを発露する時点で頭が悪いということが本当に分かるよ。
今までそういう奴を何人か見ただろう。
そして、少なからず、こう思っていた。〔無い〕
お前の場合、他人を理解するための鏡としての自分は常に曇っていたからな。
曇っているからといって悪いということではない。
ピカピカにすることさえしないこと。
よーく考えるんだな。

¬〔∃xP(x) 〔素晴らしい〕〕
x=肯定するに値する
P=□□□
P(x)であるようなxが(少なくとは一つは)存在することは、ない。

何回も同じことを考えていることがログを見てもわかるだろう。
そしてそれを解決する方法もぼんやりと分かってきている。
それでも繰り返すとなれば、全くの糞だな。
そういう奴は大抵、有限の有り難みを何も分かっていない。
だからこそ何か変わりたくないことを失いたくないと勘違いしてしまうわけだ。

なんだかなあ


新しい生活が億劫だ。
変わりたくないのに変わらないといけない。
考えたくないのに考えないといけない。
喋りたくないのに喋らないといけない。
眠りたくないのに眠らないといけない。
起きたくないのに起きないといけない。
生きたくない。そういうときもある。

Wittgensteinはこう言う。
「幸福に生きよ!」
無色透明な世界は美しいと思う。
自分の周りの時間も空間も無色透明の水に覆われた世界。
世界は無色透明に成り得る。
しかしながら自分が見る世界は泥にまみれている。
泥にまみれた世界にいたくないと思ってはいけないだろうか。
我儘だろうか。

Wittgensteinはこう言う。
生きたい、と思うこと。
それ自体が幸福だと。

やはりぼくは我儘だ。


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岩倉玲音

Author:岩倉玲音
25歳の、、、何でしょうか?

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