ウラノスの憂鬱 - 2011年10月

ウラノスの憂鬱

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10/18(火)蚊にさされる

□文章というのは、何だか不思議なものだなあと思う。前に自分が書いた文章を見返すと、よく書いたな、とか、ぷぷw、とかいろいろ思う。でも、何だかいつも同じようなことを言っていて、今日思ったことが以前に書かれていたりする。なので、自分という得体の知れない人がぼんやりと見えてくる。そして、文章になってしまうほどの思考は結局、そんなに変わることはない。これからも、変わることはないのだろうと思う。そういうものは、自分を自分たらしめているものとして、大切にしよう。
□そういう、塵が、誰かに拾われるのはやっぱり嬉しいこと。
 
 

10/6(木)雨、寒い

□シュタインズゲートやった。鈴羽かわいいよ鈴羽。

※ネタばれかも
□やっぱり鈴羽が主人公だね!世界を救うために戦う美少女が主人公じゃないわけじゃない!続編ではアンダーグラウンドで活躍する鈴羽が見たい。

□目の前には複数の人生がある。ひとつの物語を選べば必ず他の物語を失う。しかしなにも選ばなくてもなにかは失う。
□助手かまゆしぃのどちらを選ぶかが、やっぱりクライマックスなのかなと思う。そう考えると、助手がマッドな父親に間接的に殺されるというのは納得いかないなあ。どんだけ娘憎んでんだよ。助手もそんなファザコンじゃなくてもいいじゃないか。というかナイフ持ち歩いているのはおかしいだろ常考。うーん。優秀な娘に嫉妬してるから憎んでるんじゃなくてもっと納得できる理由が欲しい。

□マブラヴの因果律量子論もシュタゲの世界線理論も、どの世界線であっても結果は収束する。その結果というのは、何か。マブラヴでは、人の死などの重い事象(まりもちゃーn)、シュタゲでもやっぱり死?(まゆしぃ、鈴羽、萌郁)。じゃあ助手は?!助手だけ、なぜ、おかりんの「血溜まりの中で倒れている助手の姿を見る」ことが結果でよし!になるのか。わからん。

□世界線が変わるほどのダイバージェンスの大きな変化は、結果、「冷戦終結」「第三次世界大戦」「SERNによるディストピア」となった分岐点で起こる。つまり、社会の構造が変わる大きな変化の原因が起こるときが分岐点になる。世界線はそういう観点で分けられる。「SERNによるディストピア」の原因はDメール(SERNによって、過去に送れるメールであると気付かれたから?)。「第三次世界大戦」の原因は助手の死?えーと。。。中鉢がロシアにタイムマシンの論文を持って行くことだから、それが無事届くか、届かないかの鍵になるメタルウーパを封筒に入れるかどうか、ということじゃないの。そもそも助手が論文を完成させたということとか、中鉢に封筒を渡すということのほうが納得いく。

□とにかく、助手の死だけ、不自然で浮いている印象。都合で死んだ印象がある。(社会的な構造の観点で分かれる世界線の中にまゆしぃや鈴羽の死が閉じ込められるのはまあいい。)

□感動する怠惰。マクドナルドのように「まあとりあえず旨い」と感じさせるように「まあとりあえず感動できる」というシステム。感動させよう。そのために究極の二択を用意しよう。それは死にしよう。じゃあなぜ死ぬか決めよう。感動に怠惰かもしらんという思いは、ちょっとしたひっかかりで湧き起こる。確かにシュタゲは面白い。鈴羽の手紙は鬼気迫る。でも、本当の感動というのはこのキャラをここに配置して、感動の伏線をここに置いて、というようなパズルでは生まれないと思う。電車のつり革を持ち、その上に顎をのせるといった、細かい描写にでも、宿る。そうしたしぐさが我々を人たらしめている、と感じさせるささいなものでも。いや、それこそ。