ウラノスの憂鬱 - 2011年12月

ウラノスの憂鬱

Home > 2011年12月

 

12/30(金)

□前回の日記は理解して表現するのに、時間と補助教本が必要なようで、時間をかけて書くこととしよう。

□blogがボイストレーニングっていいね。
「自分の考えを文章にして書くことができるようになりたい。できれば、わかりやすい文章で書くことができるようになりたい。また、他人に自分の考えを伝えることに恐れを抱かないようになりたい、と思いブログをはじめました。」このように発生練習という研究者のblogに書いてある。(この方は計算機科学&工学の職員。2008年時点で助教。)このblogは未熟な大学生や院生が論文を書くにあたり有益な情報が載っている。
学生が自分の主張を述べにくくなる心理について
締切前に「WRYYYYYYYYーーッ」となってしまったとき
あははははははははははははっははははは

 
 

12/25(日)

権力:ある人間が別の人間に対して、不可抗な力を及ぼすことができるとき、それを権力という

Aという上司とBという部下がいる場合、A→Bという権力が働いていると考える。(中略)しかし、BはAの命令なら何でも従わないといけないわけではない。たとえば命令は適切である(上司の権限内である)必要がある。命令が実際に効力を持つためには、一連の条件を満たしていなければならない。そこで、A→Bへの権力を成り立たせている社会的な条件の総体を、「権力関係A→Bの社会的文脈」とよび、C(A,B)と表すことにする。たとえばある会社があって、そこでは人びとがAを上司、Bを部下だと思っていることなどがそうである。権力の不可抗である部分には、この社会的文脈からもたらされている。そこで、この社会的文脈から権力関係の両当事者に力が及んでいると考え、これを「広義の権力」とよぶことにしよう。すなわち

(広義の)権力:社会的文脈から、権力関係の当事者に及ぶ力を、広義の権力という。

ここでひとつの問題は、権力関係の両当事者、Aが理解する社会的文脈とBが理解する社会的文脈とが、等しいと言えるか、ということである。(中略)現実はA,Bが各々心的に構成するものだから、両者の一致を言うことはできない。
同じことを、別なふうに言うこともできる。社会的文脈(コンテクスト)は、現前しない。(一般に、現前しない部分を文脈(コンテクスト)とよぶのだから、これは同語反復である。)それは、社会的行為(この場合は権力関係)の当事者(AやB)が、彼らの行為の前提として想定する「現実」の一部分なのである。したがって

[Th]社会的文脈は、権力関係の当事者によって、明示的には共有されない。

にもかかわらず、権力が実効的であるためには、当事者が、社会的文脈を一義的に確定していると「信じている」ことが必要である。これは、当事者の誰かが、社会的文脈が何かについて、必要に応じて指示・言及することができ、他の当事者がそれに明示的に反対しない、という事態にほかならない。先ほどの例で言えば、Aが現実の定義権を握っている、ということに相当する。誰かが現実の定義権を握るというそのことも、社会的な出来事であって、人びとの現実に繰り出される。人びとはなんらかの現実を信じなければ生きていけないわけだが、その現実を誰かから受け取ったとたんに、その現実の与える権力の効果の中にとらえられてしまう。
橋爪大三郎『橋爪大三郎の社会学講義』、夏目書房、pp62-65

続く
 
 

12/14(水)、12/15(木)

□自分は言われるまで、そのミスに気付かないことが多い。
□まあ、それはいい。自分がミスを指摘される環境にいて、ミスを指摘されるということはそれだけ気にかけて教えてもらっているということだから。しかしそのミスの原因をどこまで遡ればよいのか。自分の役割を粛々とこなせばいい。

□その人に伝えるためには、どの程度、抽象度のコントロールが必要か、筋道を分割しないといけないか、論理的なつながり方を明確にしないといけないか。
□ある人の言った言葉を書き起こしたときに、ほぼそのまま書き起こして日本語がひどすぎると指摘された。でも自分の中では順接、逆接、具体的な説明、理由①、理由②と全ての文章に説明がつく。伝えられる文章とは、他に解釈の余地がなく、筋道が一本の文章だとは思うのだけれど、それを伝えるための最低限のルールが分からない。一体なんなのだろうか。礼儀のようなものなのだろうか。
□いつも不思議に思っていることがある。究極の明快な文章を作るには、文字と論理記号を組み合わせればいいのではないかと。理系の論文で文字を使う意味がときどき分からなくなる。目的と結果が対応していること、結果に至るまでの過程が細かく分割されていて、その筋道が最も適切であること。
□風景の論理という本を数人でじっくり読んだことがあり、この世界の独特の言い回しは言葉じゃないと表現できないだろうなと思った。構造化されているけれども、各部が繋がっていて、引用元に解釈の余地がたくさんあるから記号の繋がりでは表現できないだろうと感じた。余分と思われる部分も全体を通してみれば必要な部分かと思わされる。
□僕は数学が得意ではないが、考え方を何となく、変数で捉えることが多い。この指摘の変数をとりいれなければ、とか、決定を早くして変数を減らさないと拡散してしまう、とか。

□ハイコンテクストの集団に外部から入るときは、必ず叱責される。マナーがなっていないとか。でもそれは具体的には教えてくれない。時間があれば自然に分かるようになる。でもすぐには教えてくれない。それはなぜだろうか。
□なぜ、多重人格になれないのだろうか。様々な状況があるのに、一つの心であることは理不尽だ。感情が全て無くなって欲しいと思うこともある。
□僕は、他人が思っている、「本当のこと」を知りたい。場を和ませるため、自己保身のため、そんなことを抜きにして、今の言動の理由を逐一聞きたい意地悪な欲望がある。不安が動機となって行われる自我の再適応のメカニズムで全てを説明したい。
□不快。自分の関心が外に向かないことに。
□いくつかの具体的な話無しに、全体の抽象的な話に進むのは危ない。極端な意見になりがちになる。自分の居場所を正確に把握していれば、一つの具体的な話でも説得力はある。