ウラノスの憂鬱 - 2012年01月

ウラノスの憂鬱

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1/18(水)爽やか

 今日は一体、何日だ?昨日、研究室のOBOG会があったこともすぐには思い出せない。ボケてきたのだろうか。
 再来年から研究室を出て、社会に出る。自分が将来どうしていくかをこれほど深く考えるのは初めてだろう。「自分はこの社会で生きていく能力があるのだろうか」と、毎日考えている。この問いには色々問題があると思うんだけど、今はそう考えざるを得ない。お前は傷つくのを恐れすぎている。プライドを守りたい。安定した地位に就きたい。と考えているのだろう。棘を抜こう。そうでなければ、すぐ死ぬことについて考えるのだろう。皆で演ずる茶番劇が自分抜きで演じられて欲しいから。

-誠実になればなるほど生きにくくなることについて-
 最近、少し分かってきたことがある。会話の内容に誠実であろうとすればするほど、苦しい。発言に対してそれは本当に心の中で思っていることなんだろうかと思ったり、とか。
 「宿題をやりなさい」「でもそんな嫌々やっていても身につかない。自主的に勉強しないと意味ないのにね」と言われるような状況とか。


-自分を勝手に特殊な人に仕立て上げていることについて-
 「想定」するのは、恐ろしい。例えば、僕はよく「自分は普通の人とは違う」と思う。しかしなぜそう思うか答えることができない。何となくそう思っているだけだ。僕は自分が周りの空気を凍らせる発言をしたり、発言すべき時に沈黙してしまう。そのときにに一瞬表れるきょとんとした顔。不快な顔。そのとき、僕は相手にとって想定外の種類の発言をしてしまったのだと考える。それが僕にとって僕が特殊であると思う理由なのだ。そして、そのとき、僕には分かる術もないが、僕以外のは何かしらのルールで同質の空気を作り出していていると考えている。僕は自分が特殊な人であると思い込んでいるから、その特殊な人を弾き出す普通の人で構成された集団があると考えるのは別におかしくないのではないか。そして、そういう風に考えると、僕が特殊であるという考えに則って振舞ってしまい、終いには周囲から「僕が特殊であると自分で思っていること」を察知され、本当に特殊な人になってしまう。
 これは本当に恐ろしい。自分は普通になりたいと思っているからこそ、とりあえず自分を特殊な人と位置づけ、どのようにしたら普通の人になれるかと切実に思っているのに、そう思えば思うほど自分は本当に特殊な人になってしまうのだから。
 もう僕は自分を特殊と思うのは止める。今、自分が本当に特殊であるとしても、その原因を作ったのは自分なのだ。

-否定することの難しさについて-
 「否定」するのは、恐ろしく難しい。何しろ、肯定する材料が一つでもあれば、破綻してしまうのだ。

 


 興味が自分にしか向かないんだよなあ。