ウラノスの憂鬱 - 2012年10月

ウラノスの憂鬱

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10/23(水)

高野悦子さんの20歳の原点シリーズを3冊読んだ。
自分より少し年下の大学生が、一体どういうことを考えて自殺に向かっていったのか知りたかった。
死ぬことはとても勇気がいることだが、その重い決断をなぜ下すことができたのか、その思考の過程が知りたかった。

僕達は、殊更に生きることを選択するまでもなく生きている。そして、生きることはとても重い負荷になる。
仕事のため。賃金、娯楽、同僚、家族、余暇のために仕事をする。人生には多くの短期的な目的が堆積し、それらを渡り歩きながら、だましだまし生活している。

やるべきことがあり、自分が属すグループがあり、友人がいて、恋人がいて、そこそこ好きなことができているような一見満たされいてる状況においても、自分が生きているのはなぜだろうかという疑問がときどき頭をもたげる。
「人生には意味が無いけれど、そこそこ楽しい」
「人生はそこそこ楽しいけれど、意味が無い」
生きるって何?と考えたとき、僕はこの二種類の実感の間で揺れ動いている。
後者を実感すると、自殺という選択肢が浮かぶ。
しかし、頭にそのアイデアが思い浮かんでも、なかなか実行できない。
自殺について具体的に考え始めると、急にばからしくなってしまうのだ。
なぜ自殺しようと思っているのか言葉にしてみると、それは滑稽なほど青臭い理由で、その言葉を封じるためのアドバイスをしたくなるほどだ。
というわけで自殺という一つの選択肢が表れたなら、それは気恥ずかしさですぐに立ち消えてしまう。
それはある意味、真剣ではないということだとも思うんだけども。

自殺の衝動に理由は特に無いと思う。
あるいは、理由がありすぎて理由にならないのだと思う。
高野さんの自殺の直接的な原因は分からないが、日々の出来事の合間に時々挟まれる死への思いを読んで、そう思った。

自分が舞台にあがれば、多少つまらない劇でもおもしろいものだというようなことをアランさんが言っていたような。